// 上書き御免(源平+遙か年表) ※別窓表示はこちら

源平時期の年表に「遙かなる時空の中で3」の設定をまぜてみようという試み。
2006年1月23日から7月18日まで独自に推測・調査して更新していましたが、
2006年10月4日に『メモリアルブック 完全設定資料集』に年表が掲載されたため、
公式発表に基づいて修正をして、更新停止。正式発表万歳vvv 待ってました!

※年表の月日は旧暦、印は『メモリアルブック 完全設定資料集』による修正箇所です。学校の試験には使用禁止ですよ神子さまがた;;;

  年表1:〜1170  年表2:1171〜1179  年表3:1180〜1181

西暦
年号
月日
できごと (清和源氏 桓武平氏 熊野関係 ほか 網掛けは遙か設定






1146 久安2
湛快、熊野別当職就任(史料によると49歳)





02.13
源有仁(花園左大臣:後三条源氏)没(45歳)
1147



久安3


04.08 源頼朝誕生























平宗盛誕生

鳥羽上皇、熊野御幸?(この時期、一年半おきくらいに御幸)
湛快、田辺の宮に十一神を勧請し、新熊野神社とする
1148
久安4








1149
久安5








1150
久安6

勢至丸、法然を名乗る






1151
仁平1
01.26
改元(久安→仁平)暴風や洪水により改元






以仁王誕生
1152
仁平2

平知盛誕生






1153

仁平3

1月
平忠盛没(58歳) 平清盛、家督を相続













鳥羽上皇、最後の熊野御幸
1154

久寿1

10.28
改元(仁平→久寿)


















11月
源為義、息子・源為朝の九州での私闘(?)により解官され、源義朝が家督を相続

源義仲誕生
1155



久寿2



07.23
近衛天皇没(17歳)
























07.24
後白河天皇即位(29歳)
09.23
二条立太子(13歳)

リズヴァーン、1184年から時空移動してくる(6歳)
遙かの経正さん誕生(誕生日不明)

平徳子誕生(安徳天皇母)

源義賢(義仲の父)、源(悪源太)義平に討たれ、義仲は木曽へ逃げる
1156







久寿3
07.02
鳥羽法皇没(54歳)
















































保元1
7月
改元(久寿→保元)
7月
保元の乱 ※結果  源為義、斬首(60歳)
7月
崇徳上皇、讃岐に配流
9月
源為朝、伊豆に流される

平重衝誕生

源義盛(十郎行家)新宮にかくまわれる

後白河天皇による保元新政。荘園整理令(後三条帝以来の規模)発布。
1157
保元2

北条政子誕生






1158
保元3
03.05
景時さん誕生



1


08.11
二条天皇即位(16歳)、後白河上皇院政開始 関白・藤原基実



平惟盛誕生 遙かの惟盛も誕生(誕生日不明)
1159
保元4
03.01 頼朝の母(藤原季範の娘)没


2


平治1
03.01
改元(保元→平治)
12月
平治の乱 ※結果

源義経誕生
1160










平治2

源義朝(頼朝・義経の父)没(38歳)


























3
































01.03
源義朝、暗殺されかけたところをリズヴァーンに助けられる
永暦1









01.10
改元(平治→永暦)
01.13
頼朝、近江国で捕まる
01.25
源義平、斬首(20歳)
01.26
藤原多子、入内(二条天皇)※二代の后
02.11
弁慶さん誕生
1
03.11
頼朝、伊豆配流






8月
平清盛、初めての厳島神社参拝
08.19
二条天皇の中宮、妹子内親王(鳥羽天皇娘)、出家
09.23
遙かの知盛誕生
11.23
美福門院(鳥羽天皇皇后)没(44歳)

平滋子、入内(後白河上皇)

常磐御前、平家に捕まり清盛に召される

平資盛誕生(重盛次男)

後白河上皇、熊野御幸(1回目)
1161



永暦2

後白河上皇、京都に新熊野神社を勧請
2

4


応保1

09.04
改元(永暦→応保)天然痘の流行による
09.23
高倉天皇誕生(父・後白河 母・平滋子)
09.24
遙かの重衡誕生

二条天皇、親政を開始?

藤原育子、入内(二条天皇)
1162

応保2


後白河上皇、熊野御幸(2回目)平清盛を伴う


3



5






平忠度、生誕地(と言われている)熊野新宮を出る(18歳)

平清盛、福原・大輪田泊建設開始
1163



長寛1



03.29
改元(応保→長寛)天然痘の流行による

4







6











5月
遙かの源義朝、暗殺される
5月
遙かの藤原泰衡誕生
11.09
九郎さん誕生
1
12月
遙かの常磐御前、平家に捕まり清盛に召される

三井寺、比叡山衆徒によって焼かれる ※山門寺門の抗争



太政大臣藤原伊通、伊勢と熊野は別体とする公式見解「長寛勘文」発表
1164




長寛2



04.10
藤原基実(関白)、清盛の娘盛子の婿となる 2




5









7














08.26
崇徳上皇、配流地讃岐にて没(46歳)
9月
平清盛、厳島神社に「平家納経」を奉納
11.14
六条天皇誕生(父・二条天皇、母・伊岐致遠女)
12月
後白河上皇、蓮華王院(三十三間堂)を供養

藤原師長(保元の乱で負けた頼長の子、土佐に流されていた)、赦されて帰京

平重盛、正三位となる
1165



永万1




06.05
改元(長寛→永万)二条天皇の病気による
3




6









8














06.25
二条天皇譲位
07.22
二条天皇没(23歳)
07.27
六条天皇即位(2歳)★ 摂政・藤原基実
8月
二条天皇葬儀において延暦寺、興福寺と席次争い
08.17
平清盛、大納言になる

源義経、鞍馬寺に預けられる(7歳)?出典:「義経記」
1166




仁安1




08.27
改元(永万→仁安)六条天皇の即位による
4




7









9













10.10
高倉天皇立太子(6歳) 摂政・藤原基房
11.13
平清盛、内大臣、東宮大夫兼任、正二位になる

平重盛、近江権守、左兵衛督、権中納言、右衛門督、東宮大夫兼任

伝説によれば弁慶は7歳で比叡山に稚児として入る。遙かの弁慶さん、7歳。
1167



仁安2



02.11
平清盛、太政大臣になる(5月に辞す)
5
8






10






05.10
朔誕生
1
05.18
敦盛さん誕生
1



平経正、淡路守になる(生誕年不明1145〜50年頃?)

明雲、天台座主になる(平清盛と懇意)
1168



仁安3



02.11
平清盛、出家 明雲が戒師となる 入道相国(浄海)と称す
6



9






11



2



2



02.19
六条天皇譲位(5歳)
03.20
高倉天皇即位(8歳)
3月
平滋子、皇太后に冊立(27歳)

平清盛、厳島神社社殿を修築
04.01
ヒノエくん誕生
1
1169

嘉応1

04.08
改元(仁安→嘉応)高倉天皇即位による
7

10

2

12

3

3

06.17
後白河上皇、出家

後白河法皇、福原へ下向(以降連年)

平敦盛誕生(1168年説あり)

源義経、鞍馬寺に預けられる(11歳)?出典:「尊卑分脈」

九郎さん、義経が鞍馬寺に入ったと言われる7歳(義経記)になる…けど…?

後白河法皇、『梁塵秘抄』編纂(完成は治承3(1179)年)
1170

嘉応2

05.25
藤原秀衡、鎮守府将軍になる
8

11

3

13

4

4

07.03 摂政藤原基房と平資盛の衝突 出典「玉葉」

平滋子、「健春門院滋子北面歌合」を催す

今鏡(歴史物語・寂越作?)



  ※保元の乱
    負け組:崇徳上皇(鳥羽帝子)・藤原忠実&頼長・平忠正(忠盛弟)・源為義&為朝
    勝ち組:後白河天皇(鳥羽帝子)・藤原忠通(忠実子)・平清盛(忠盛子)・源義朝(為義子)
    天皇家兄弟、藤原摂関家親子、清和源氏親子の勢力関係に決着がつきました。


  ※平治の乱
    負け組:藤原信頼(後白河側近)・源義朝&義平→政治的ライバル藤原信西(後白河側近)を倒す
    勝ち組:平清盛
    後白河上皇&二条天皇の宮中で最強だった信西が倒されましたが、信西を倒した側も敗北。
    結局、平清盛の一人勝ち、後白河上皇と二条天皇の関係が悪くなる、という微妙な結果に。


  ※山門寺門の抗争…比叡山延暦寺を「山門」と言い、三井寺(園城寺)を「寺門」呼んだことから、
    天台宗の二大勢力、延暦寺と三井寺のいさかいを山門寺門の抗争と言います。
    比叡山衆徒の三井寺焼き討ちは、大規模なものでも10回くらいあるようです。


  ※二代の后…藤原多子(まさるこ)は近衛天皇の皇后でしたが、1155年に近衛天皇が17歳で崩御し、
    後に二条天皇に望まれて再び入内。二代の天皇の后となったので平家物語で「二代の后」として描かれます。
    実の父は徳大寺(閑院流藤原氏)公能。義理の父が藤原(北家)頼長。頼長は保元の乱で死亡。